レイラインと夏の日

現代ではお祭りごとがあると人々は渋谷に集まりますが、古来お祭りといえばそれぞれの神社がみんなの集いの場所でした。
大きな神社に小さな神社、その神社はなぜそこに在るのだろう。

みんな大好き歴史の時間です。

レイラインということばをご存知ですか?
詳細はググっていただくとして、日本で有名なレイラインのひとつは富士山と茨城の鹿島神宮を結ぶ地図上の直線で、この線上に明治神宮・皇居、おまけにスカイツリーも乗っているよと。そしてその線を西南西に伸ばせば伊勢神宮も構えていますよと。太陽の動きを絡めて考えたりもしますね。

太古の人々にとうぜん山岳信仰があっただろうし、東西南北より太陽が昇ったり沈んだりする方角が重要だったわけで、それが意図されたものであるという仮説=レイラインはとても納得できます。

でもどうやって地理を計測したの??

紀元以前の人たちがどんな事情でどんな技術をもって、そしてどんな想いで神社の位置を決めていたのかに思いを馳せてみるのもロマンチック。そんなときのBGMには姫神がよく合う。

さて私の住むさいたま市には武蔵一宮氷川神社(以降 大宮氷川神社)がございます。大宮氷川神社もレイラインを構成しています。霊峰富士そして同じく筑波山を結ぶ直線上に大宮氷川神社が鎮座しております。

そんな大宮氷川神社は市内の中山神社・氷川女體神社と共に氷川三社を構成しています。そしてこの三社を結ぶレイラインはそのまま冬至の日に太陽の昇る方角を真っ直ぐに指しているとされています。光の道とも呼ばれているとか。ステキだなあ。
ちなみに本日12月22日も2021年の冬至です。

この三社はそれぞれ何度もお参りしていますが久しぶりにシーケンシャルに訪ねてみようと最高気温37℃のとある夏の日、その酷暑に自分が耐えられるのか興味もあって自転車でGOしました。
4ヶ月以上も前のことになりますがその回想で三社をかってに案内させていただきます。

まずはやっぱり大宮氷川神社。2kmの参道が爽快で、一の二の三の、と鳥居の端をくぐり朱色の橋と門が見えてくると気持ちもアガります。そのいっぽうで裏手の蛇の池の湧き水エリアは静寂のなかに神秘みたいなものを感じることができます。パワスポだとのこと。

いつもたくさんの人たちがお参りしていますが、この日は酷暑のなかで人はまばら、というかみなさん日陰に集まっていました。

大宮氷川神社を後にして見沼ヘルシーロードを南下、一般道へ出てクルマに轢かれそうになりながら中山神社へ。
この神社の裏手には旧本殿が保存されていてこちらは安土桃山時代の建造とされています。戦国時代モノですよ!
表の現本殿はオープンに開けっ広げられていて、中でどなたかがデスクワークしています。

この後たくさんの回り道と道草をしながら氷川女體神社へ。
ここは台地の端に位置していて干拓前の広大な旧見沼に突き出すような地形。昔は龍神さまを祀る御船祭りがあったりなど沼と深い関わりがありました。
またその名のとおり女神さまが祀られていますし、巫女人形が納められていたりしてなんとなくガーリー。

以上レイライン上の氷川三社巡りでした。
レイラインとはいえ道がまっすぐ引かれているわけでもないし、回り道や道草もしているので直線を実感できるものではないです。
それでもこの日のサイクリングはノスタルジックに夏の日を感じることができてとても印象深く残るものでした。

以降に個人的な思い出の記録をかってに残させてもらい、このブログエントリを締めます。

同日の夜は弊社内の少人数グループによる座談会があったので間に合うように急ぐ急ぐ。自分的にはゴン攻め。
移動距離はトータル40km弱ていど。それでもこのところ自分に過保護だったので久しぶりにノーガードの自転車で熱中症とかあるかな?と思ったけど気温37℃でもだいじょうぶでした。神さまの御加護でしょうか。

小さな神社でもなぜここに?から調べてみると学びや発見があるかもしれないからおもしろい。あんなこんな歴史上の人物が登場したり、地元に小さなレイラインをみつけることがあるかも。

お参りする神社に縁結びの御利益があるとお賽銭を奮発してしまいます。
以上、レガート歴史担当でした。

一人道灌紀行

歴史好きですか?日本の戦国史は好きですか?

「歴史をつなぐ」

みんな大好き歴史の時間です。

京を舞台とした応仁の乱から遡ること10年以上前、関東では享徳の乱が勃発。近年ではこの乱を戦国時代の幕開けとする解釈が占めるようになってきました。
関東戦国史はここから百数十年間、秀吉による小田原征伐、家康の入府までの間カオスが続いたのです。
そしてこの混乱期の初頭に登場したのが太田道灌。その八面六臂の活躍と非業の最期の詳細はWikipediaでも読んでみてください。

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(Wikipediaより)

ところで道灌の銅像ってあちこちで見た気がするけど他の誰かさんのそれと被ってどれがどれよ?となりあらためて整理をしたのですが、せっかく整理したのだから行って見てこうようぜと。
前置きが長いけどここからが本題。道灌の銅像を日帰りで巡る一人旅。その紀行です。

  • 日暮里駅「回転一枝」
  • 東京国際フォーラムガラス棟
  • 川越市役所
  • 岩槻市芳林寺
  • 岩槻人形博物館
  • 越生町龍穏寺
  • 伊勢原市役所
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今回巡る道灌像はWikipedia記載の7箇所に絞ります。この7箇所を1日で効率良く訪ねる巡回セールスマン問題を秒で解いて計画を立案。
久しぶりに良く晴れた日曜の朝、6:30に自宅を出発。BGMはNHKラジオ体操。

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首都高大宮線の端っこ、この地下基地から出発するみたいなノリがお気に入り。

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7:00三軒茶屋通過。おはようございます。

伊勢原編

首都高から東名と順調、春の交通安全運動期間中ということもあるので覆面パトカーに警戒しつつ 7:40第一目的地の伊勢原市役所到着。
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この地は道灌最期の地。彼の活躍を妬んだボスが饗応を装い呼び出して刺客を放ったのです。いつの時代も内ゲバの末路はお約束なもので、道灌最期の言葉「当方滅亡」をなぞるようにボスの扇谷上杉家は衰退の一途を辿り、かの有名な河越夜戦で当主が討死、滅亡に至ります。
市役所の広場ではジョギングを終えたジョガーの人たちが丸くなってラジオ体操をしていました。爽やか。

滞在5分で次を目指します。次の目的地は埼玉県越生町。圏央道経由で北上。圏央厚木PAで休憩。ハーレー集団やアメ車集団に割って入る。

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厚木市のマスコットキャラクターの「あゆコロちゃん」です。

越生編

越生での目的地龍穏寺は道灌にゆかりの深いお寺で、後に巡る芳林寺とともに遺骨や遺髪が葬られているとされています。風光明媚なところで、ハイカーやロード乗りの人たちもここを目指すとか。

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立派な山門が迎えてくれます。彫刻もステキ。他にも県や町指定の文化財となっている建造物が点在していて見学が楽しい。

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そして道灌像。この日いちばん間近で見ることができた像です。「太田道灌を大河ドラマに!」のアピールコーナーもありしっかりと署名してきました。

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周囲はこんな景色も広がっていて穏やか。ロードな人達用にサイクルスタンドが用意されている。ここ越生はサイクリストに優しい街らしくヒルクライム練習に訪れるロードな人達が多いとのことですが、荒川CR走ってきてからここまで登ってきてヘーキで帰っていくのだからすごいよな。
到着時は自分ひとりだけだったけど、帰るころはハイカーやロード乗りのグループ、法事に参加するらしき方達も集まってきて賑やかになってきた。次行くぞ。

川越編

次の目的地は川越市役所。川越城(河越城)は道灌の築城です。先にも記載しましたが道灌を謀殺した扇谷上杉家は朝定の代でこの地を舞台とした河越夜戦で終焉を迎えるのも何の因果か。
川越は小江戸と呼ばれる美しい街並みに人々が訪れる観光地です。この日もコロナ禍とはいえ皆さん密を避けながら楽しんでいます。目立ったのは着物をお召しの若い人達が多いこと。流行っているのかな。カップルとか着物で人力車乗ったりしてあーいーですねー。

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道灌像は市役所前、川越城の大手門跡にあります。城好きには縄張り図や鳥瞰図は好物です。
この日唯一のリア充スポットは早々に退散して次の目的地の岩槻を目指します。

岩槻編

岩槻は人形の街として知られていますが歴史的にはやはり岩槻城。岩槻城は長く道灌築城とされていましたが近年成田氏が築いたとも解釈できる古文書がみつかり論定には至っていないとか。それでも戦国末期には道灌の子孫の三楽斎(資正)が執拗にこだわって取った取られたを繰り返したのが岩槻城。太田家との関わりは深いのです。

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岩槻では見学箇所が2箇所ありどちらも市街地で移動には機動力が必要。そこで用意してきたコレの出番。コインパーキングで人目を気にしながらトランスフォーム。

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芳林寺は先の龍穏寺とともに道灌の遺骨が分骨されているといわれています。道灌像はどこも基本狩装束だけど、ここだけは武者姿です。やっぱり武士のこの姿は美しい。岩槻城の鳥瞰図もあった、うひょー。

次の道灌像は岩槻人形博物館前。旧岩槻市役所からここに移転されたとのこと。人形博物館の中ではお着物を召したご婦人たちが艶やかに集合していらっしゃいました。
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この後はいったん自宅へ。クルマを置いていくつかの雑用をやっつけてこんどは電車で都内を目指します。

都内編

JR日暮里駅東口前の回転一枝の像。道灌の銅像としてはこれがいちばん有名かな。彼のエピソードとして有名な山吹の里の娘さんの銅像もいます。けっこうカワイイ。
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そしていよいよこの日ラストの訪問先、東京国際フォーラムを目指します。ここは元都庁があった地。すぐ近くに江戸城跡(皇居)があります。

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家康入府前の江戸城が道灌の築城であることは有名です。ここの道灌像はこの場所から江戸城を眺めている姿とのこと。
東京国際フォーラムの片隅にポツンと建っているのですが、自分が滞在した15分程度の間にも歴女とおぼしき若い女性が2名ばかり見学にいらっしゃいました。もちろん話し掛けてなんかいません。

ビール編

この日予定した見学スポットは全て巡り終わり、黄昏る東京駅周辺を少しだけ散歩して秘密の抜け穴みたいな地下道から東京駅へ戻ります。
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ヤエチカで数杯のビールとつまみでこの日の振り返り。この時間を待っていたぜ。時短営業に間に合って良かった。
GPSログ残してみたけどこの日の総移動距離は254km. みち草もより道もせずに移動している何の面白みも無いログだ。
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かかる時 さこそ命の 惜しからめ かねて亡き身と 思い知らずば

以上、レガート歴史担当の日帰り一人旅紀行でした。