靴と八王子城と先輩

このブログでなにかと話題になる高尾山。先日の高尾登山の登り始めで靴底がベロンベロンしてみんなに迷惑を掛けた歴史担当です。

同じ日に左右同じように壊れるのかよ

日本に靴を履く文化が伝わったのはいつ頃?と考えると明治の文明開花の頃ではと漠然と想像してしまうけど、いえいえ平安時代からすでに沓(くつ)として公家の間では靴を履く文化があったのです。

浅沓(Wikipediaより)
宮中で履いていそうなコレ

この時代、公家に侍う上級武士にもこの習いがあったとされていて、大河ドラマの往年の名作「炎立つ」でも上級武士役の人は武装姿でブーツみたいな沓を履いています(Youtubeで観た)。諸説あれどさすがに時代考証がしっかり入っています。
よほど日本の気候に合わなかったのでしょうか、その後武士たちはみな草鞋にシフトしていきます。

ところで私事ですが冒頭のようにハイク用の靴が壊れたので新しく靴を買いました。その靴のデビューとしてこの8月某日に八王子城跡に登ってきたので紹介させてください。
八王子城って???

みんな大好き歴史の時間です。

戦国時代、小田原城を本拠に関八州に覇を唱えた後北条氏。その一族北条氏照が戦国末期に築城した八王子城。
関東屈指とされる広大な山城でしたが、1590年豊臣秀吉による小田原征伐の一連の攻城戦の中でも数少ない殲滅作戦が行われたのがこの八王子城です。
上杉・前田・真田等の北国部隊の総攻撃により城主不在の中わずかな家臣と婦女子が立て籠もったこの城は悲劇の落城を迎えました。

私としては八王子城は2008年以来の再訪です。壊れた先代の靴のデビューがその時だったので、新しい靴をおろすのもここにしました。

麓で旧新の靴を並べて記念撮影

八王子城の本丸跡を目指すのは山登りです。さらにその先の詰城跡へ向かうコースはけっこうな山道です。
麓から金子丸跡、高丸跡、小宮曲輪跡と登り八王子神社へ。ここまで30分弱とはいえ戦を想定し守りに特化した要害の地形なので急坂が多くて息もかなり上がる。
見晴らしが利くところまで抜けると都内への眺望がガッツリ広がります。

麓のガイドパネルから八王子城鳥瞰図
いざ入山
八王子神社
(改築されたみたい)
遠く霞む都心のビル群

八王子神社の更に上にある本丸跡に立ち寄り松木曲輪跡の手前から詰城跡を目指す険しい山道へ入る。さあここからが八王子城跡の醍醐味です。
猛暑の中ぼんやり足を進めていると「ん、これ山道じゃなくね?」みたいなざわざわ。やっぱり迷ってた。慎重に復帰し、気を取り直してあらためて詰城跡を目指しました。

詰城周辺の遺構の中でぜひ紹介したいのが堀切跡です。

詰城跡手前の堀切
詰城跡の奥の堀切

どうです、この大きな堀切の跡!!!城の守りとして戦国当時に人力で造られた土の遺構です。城ファンには萌え萌えの上物なのです。これを見に来た。

この後さらに富士見台まで足を伸ばした後は山麓まで戻ってさいごに御主殿跡周辺を散策。御主殿跡は山登り無しで気軽に散策できるスポットで、野鳥観察エリアとしても知られています。
ゆるキャラやガイダンス施設を設けたり、ガイドさんが城跡周辺を案内してくれたり(コロナ禍で休止中)、地道な観光誘致活動もされているので城跡や野鳥に興味がある方はぜひ。

富士見台にて
御主殿跡の曳橋と石垣(復元)
御主殿の滝

この道中、山麓と山中で合わせて3度出会った男性がいました。聞けば年齢はもう80を超えているとのこと。
野鳥のこと、山道のこと、コロナ禍のこと、奥さまや故郷のこと、たくさんお話をして人生の先輩を前に謙虚な気持ちになれた清々しい時間でした。まだまだ自分は半端だし未熟だし小僧だ。
最後に別れた富士見台で「バスの時間がありますのでこれで!」と颯爽と別ルートを降っていった後ろ姿はとてもカッコよかったです。

八王子城跡は中央高速道を挟んで高尾山の北側に位置します。売店も食事処もないけれど足を伸ばせば本格的な山道でハイカーも少なくて孤独な山歩きにはイイですよ。

この日のGPSログ
うじてるくん